この新しい場所でのブログは、中谷比佐子の着物の歴史を綴ってみようと思う
いろんなところでも書いたが
きものには全く興味がなかった
昭和20年の敗戦を迎えた年、私は9歳であった
兄、姉二人の四人兄弟の末っ子でしかも病弱。戦前も、戦後もほとんど寝て暮らしていた
まわりがすべておぜん立てしてくれてみんなに大事にされていた
母は西洋医学に頼らず、東洋医学の勉強をしたらしく、根本的に私の体質改善を試み成功した。体が丈夫になったのは小学校六年のときであった
兄が家庭教師を務めてくれたので、ペーパーテストは常にクラスのトップ。しかし出席日数がいつもギリギリ、しかも体育に至っては不合格の烙印が押されていた
冬になると着物を着せられ登校した。学校に行きたいという強い気持ちがあるので、着物を着ることに抵抗はなかった。着物は病気の時に着るものという思いが、その後ずっと続く
姉二人はその当時の娘教育に沿って、茶道、華道、お琴などのお稽古ごとに通っていた。そのため常に着物姿であった。女学校の制服を脱ぐとすぐ着物に着替えお稽古に出ていく。母はもちろん一年中着物、手伝いをしている女性もみんな着物姿。父も帰ってくると着物に着替えて寛ぐ
着物姿は私の中で日常であった
それが高々80年前の日本の家庭の姿だった
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