中谷比佐子のきものひすとーりー

雑誌の撮影はいろんな制約があるが、それはそれで楽しい

ロケハンなどは会社専属のハイヤーなどに乗ってあちこち東京中を回る

昭和30年代は東京も自然が豊富で、一戸建ての家も多く、そのお庭を撮影に使わせていただくこともあった

また財閥のお屋敷跡も残っていて、その建築のすばらしさもたんのうし、更に室内のしつらえに度肝抜かれることも多かった

昔の金持ちの美的感覚、藝術に対する造詣の深さ、何より財産を独り占めしないで、日本の文化の継承のためにお金を惜しげもなく使っていくという姿勢に感嘆した

お金の生きた使い方をロケハンの時間に学んだ

カメラマン、更に先輩編集者も同行ということもあった。その先輩が私をモデルに見立てて

「そこに立って、ちょっと上を見上げて」

「ここに座って池の表を憂いに満ちた顔で眺めて」

憂い顔と最も遠い顔の私は、どういう表情をすればいいのかわからず、ニタニタ笑っていると「首をかしげて、口角挙げて、目は5メートル先を見て、そうじゃあない! 静かに目を動かすのよ、そうしたら顎も一緒についていくでしょう?いいよいいよチャ子うまい」

などおだてられながら、着物姿の時の立ち方や、しゃがみ方などを伝授してもらっていく

ロケハンの楽しみはお昼食にあった

当時は「仕出し屋」という弁当専門の店があり(その後料亭になっていく店も多かった)まず私たちが味見をして、どの仕出し屋さんの昼食にするかを決める。または近くのレストランを見つけ、そこでいいかどうかを味見して決める。この時間が一番楽しい


当時はレストランが今のように軒並みにあるのではなく、昼食の場所を探すのも編集者の重い仕事であった

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